谷村新司さん/23年10月8日死去/鳥取で22歳を聴いてみたい

個人的には旧イトーヨーカドーが閉店する数日前に5階にあった旧珈琲専科ブラジルさんで窓辺に座り食事をした時に心の中で12番街のキャロルが流れてきて♪せめてもっともっと~という歌詞がイトーヨーカドーとの別れを歌っているようで心に響きました
僕は高校1年生だった昭和58年当時はアントニオ猪木さんに憧れていました。猪木さんはサトウキビの産廃に薬品をかけて豚の餌にして世界の食糧危機を救うアントンハイセルを立ち上げました
電車通学していましたが目の前のサラリーマンが日経を読んでいて〔砂漠に野菜がスクスク〕という文字が見えました。その夜父親に日経がみたいと話したら翌日持ってきてくれ鳥取大学農学部が砂漠の緑化の研究をしていることを知り僕も猪木さんのように大きなことがしたいと思い就職希望から鳥取大学進学を目指すようになりました
その頃谷村新司さんがラジオのパーソナリティをして22歳がヒットしていました。
22歳に窓の外は光る海…という歌詞がありそれが鳥取を表していると思い僕は22歳の時に鳥取でこの歌を聴いてみたいと思いました
アントンハイセルで借金が出来たことで長州力選手たちが新日を離脱し失敗、僕も鳥取大学は挫折しました。
谷村新司さんの死去により昭和58年のことや22歳を思い出すことになりました
後4年で定年になります。その時は海がみえるホテルに泊まったり鳥取砂丘や鳥取大学近くの湖山池に行き青春の夢供養をしたいと思っています
谷村新司さん数々の感動をありがとうございました。ご冥福を祈っています